asimotoを見てみれば

退職・転居・新生活の雑記です。

自己満足

悲しみを乗り越えれば、新しい人生が始まる。

辛いのは、乗り越えてる最中のことで。

超えてしまうと、どこまでも続いてるかのような虚無と

ただ、寂しい気持ちが待っている。

 

守っているってのは、

自己満足でしかなくて。

それに気づけずいた僕が悪いんだろう。

 

突然訪れる天気の変化に対応できないような、

びしょ濡れになって悪態ついてるような始まり方だったね。

 

後悔は今できないから、

やってしまうんだね。

次があれば、

もっとうまくできるだろうか。

うまくいかなければ、

独りになってから、

泣き叫べばいい。

関西のある駐屯地に赴任したとき

その年の3月の北海道は、アスファルトが出ていて走りやすかった。

でも今考えれば、十分、雪景色だった。

 

内示された先は、関西のある駐屯地だった。

人生のほぼすべてを北海道で過ごしてきた身としては、

その駐屯地が関西のどの辺りにあるのか、まったく想像できなかった。

 

引越業者を送り出した後、

名残惜し気に繁華街のビジネスホテルに1泊した。

よく通っていたスナックのママに、

最後の挨拶をしてから行こうと思って。

また、来てね。また、来るよ。

社交辞令だと思うけど、根拠のない約束だけして店を出た。

 

ホテルで起きた朝は、なんか空しくて。

10年ちょっと住んでいた町を、誰にも見送られずに出ていく。

着替えや書類の入ったバックと、関西のマップルを助手席に置いて、

車を走らせた。

 

小樽港から、日本海フェリーに乗り、京都の舞鶴港に向かった。

乗船したら驚いた。

フェリーの中で見かける乗客のほとんどが、同業者かその家族だった。

なかには同期とその家族もいて、なんか一人でいることを自覚して、

さみしくなった。

 

舞鶴港に到着した夜、また、ホテルで1泊した。

たぶんナビに頼れば、夜のうちに目的地について、

次の日の朝から活動できたのに。

行きたくない。と、思われるか、のんびりしている。と、思われるか。

本心を言えば、行きたくなかった。

 

朝、駐屯地のある町まで車を運転して向かう。

評判の良くない部隊

気持ちは晴れない。

行った先の部隊の人と仲良くなれるのか。

新しい上司とうまくやっていけるのか。

いろんなことが頭をめぐり、だんだん気持ちが重くなってくる。

どうしようもない後悔が生まれてくる。

 

到着、してしまった。

乗らない気持ちで、

割り当てられた官舎に向かう。

独りで住むには広すぎる3DKだった。

同じ場所に住もうと同期に誘われ、

そのまま決めた官舎だった。

間取りを確認していなかった。

部屋に入って気がついた。

同期は、妻帯者で子供も2人いたんだったっけ。

 

着任

初日は、

衝撃的なシーンから始まった。

朝出勤してきて、

自分の勤務することになる、

幹部室の入り口の前に立った、

入り口から真正面の席にいたある幹部が、

別の幹部に顔面をグーで殴られているのが見えた。

蹴りも入っていたように思う。

 

やっぱりな。

来ちゃダメだったんだよな。

そう、思った。

 

そんな光景が繰り広げられても、

誰も止めに入らない。

止めれないのか。

 

この駐屯地は、

暴行で処分を受けることはないんだろうか。

ふと、そう思った関西の駐屯地に赴任した初日の朝だった。

 

 

 

 

陸上自衛隊に入隊するころ

平成11年と言えば就職氷河期まっさかり。

高校卒業してもどうせ就職できないし、国公立の大学に合格する頭もないんだから、簿記の資格でもとって、雇ってもらえるところを探しなさい。と言われていた高校生時代

家には頭のいい弟が二人いて、まだ中学生だったけど大学行くのは既定路線。

後ろに二人控えていて私立の大学なんかには通わせてもらえない。

かと言って、会社員になるのはなんか違う気がした。

 

まだ幼いころ、祖父ちゃんがよく戦争中のころの話を自分にだけしてくれていた。

ほかの孫たちはつまんなそうにするのに、俺だけ興味津々で聞いていたらしい。

戦争末期に巡洋艦にのって、飛来してくる戦闘機と機関銃で戦っていたと。

その時、まだ小学校低学年だった俺に、コサインやサインやタンジェントがどったらという話しを交えて、どうやって戦ったか話していたけど、コサインやサインやタンジェントが何者で、なぜ機関銃で戦闘機と戦うのに大切なのか理解できたのは、自衛隊に入ってしばらくしてからだった。

ほかには、「てつかぶと」が割れたとか、穴があいたとかいう話しがあって、子供のころは「昔の日本の軍人さんは、兜をかぶって戦っていたんだ」と、頭の中の日本軍はみんな武者兜をかぶってるファンタジーな世界を想像していた。それが違うとわかったのは、しばらくしてからだった。

でも一番印象的だったのは、最後の出撃の時、瀬戸内海で一夜を過ごした翌朝、明るくなったら戦艦も他の巡洋艦もいなくなっていたということで、置いてかれて、くやしくて涙が止まらなかった。という話。祖父の顔がちょっと不思議な感じだった。でも、なんか小さいながらに俺も、その気持ちがわかるような気がしていた。

 

自衛隊に入ろうと思った。

祖父ちゃんの話していた軍隊じゃないけど、もしかしたら祖父ちゃんの気持ちがもっとわかるかもとも思ったのかもしれない。

それに、実家にもあまり居たくもなかった。

だから地元で就職先を探す気にもなれなかったし、地元以外で就職先を探すつてもなかった。

寝るところもある。食べることもできる。自衛隊はうってつけだった。

 

でも、時は就職氷河期自衛隊も例にもれず、試験合格の倍率が上がっていた。

まあ無理でも一応挑戦してみるか。と。

高校の先生は通さずに直接、地元の募集事務所に応募した。

いまはどうだか知らないけど、当時その募集事務所は入隊希望者のために試験対策勉強会を開いていてくれていた。

高校3年間、まともに授業を受けた記憶がなかったから、高校に入って初めて勉強をした気分だった。しかも、学校じゃなくて自衛隊の募集事務所で。

それからほぼ毎日、学校おわりは募集事務所に行って、現役自衛官さんに勉強を教えてもらうという奇妙な生活サイクルを経て試験に臨んだ。

結果は不合格。

曹候補士になる試験だったが、ちょうど自分の頭の上で線が引かれたらしい。

まあいいか。一般2士は合格したし。

とりあえず寝床はあって食べていけるだろう。

 

ある日、いい話があると言って、募集事務所の自衛官さんが家に訪れてきた。

「繰り上げ合格したよ。」と。

合格していた人が一人辞退した。と。

「警察と併せて受験していて、自衛隊は保険みたいな感じだったのかな。」と。

 

学校の成績が悪くて親に心配され、

高校卒業できるかと親と先生に心配され、

このまま実家でプータローになるのかと、いろんな人に心配されてたと思う俺が、

結果的にクラスで一番最初に就職先が決まった。

 

祖父ちゃんの話を思い出して思い立ち、

人生で初めて自分のことを自分で決めたと実感したのが、俺にとっての入隊。

自分で立てた目標を自分の努力で達成したと、人生で初めて実感したのも入隊。

カレーの王子様

3歳の長女が今日初めてカレーを作った。

妻がつきっきりで、野菜をピーラーで皮をむいたり包丁で切ったり。

火にかけた鍋に放り込んだ野菜を炒めて、水をいれて煮立たせたり。

全部、大人がつきっきりで誘導されるがままに料理をしただけだけど。

本人は、『私が作ったの!』と、大満足。

夕食の食卓でいただきますを言った私に、『食べていいよ!』と、

元気に許可を出してくれた。

これからも、いろんなことを体験させてあげたいな。

あとは、自分で作ったカレーをちゃんと食べてくれたらもっと嬉しかったな。

S&B カレーの王子さま 顆粒 60g×4個

 

ブログをはじめる

こんにちわ。

とりあえずブログをはじめました。

誰も見てくれなくても構いません。これは自分自身の勉強と経験です。

 

なぜ、はじめたかというと。

無職になって暇している間に近くのTSUTAYAに行ったら、

亀山ルカさんの

アフィリエイトで夢を叶えた元OLブロガーが教える 本気で稼げるアフィリエイトブログ」 

という本を立ち読みしまして、暇だからやってみようかなと。

それが、きっかけで始めました。

 

ひと通り中身を読んだ感想としては、初心者でもある自分にもなんとなくわかりやすくブログとアフィリエイトの始め方が解説されていて、そのとおりPCをポチポチしてたらブログの開設とアフィリエイトの登録?ができました!

亀山リカさん、さすがです。まったく初心者の自分が、(誰も見ないけど)ブログをかけています!ありがとう!

 

稼ぐのは二の次ですけど、なれるまで自慰みたいな文章をひたすら書いていきたいと思います。

 

 

 

 

自衛隊を自己都合退職した。

高校を卒業してから20年間、陸上自衛隊一筋に働いてきた。

妻もできた。離婚した。もう一度妻ができた。子供が2人生まれた。

 

なぜ辞めるのか。

辞めたいから辞めるに決まっている。

パワハラとかじゃないよ。そんなん問題にしたらきりないくらいあるし。

仕事環境?

それもあるかもしれない。

転々と変わる居住地。転々と変わる役職。

肉体系かと思って入ってみれば、いつからかひたすらデスクワーク。

20kg太った。よく体力検定合格していたな。

 

お酒はやめた。

願掛けみたいな感じで。自衛隊辞めれるように。って願った。

なかなかしんどいのよ。自衛隊辞めるのって。

いまは毎日炭酸水。

 

そして富士山の麓に転居した。

空気が美味しいし、水も美味しい。

晴れた日は富士山がきれいで、ただ見入ってしまう。

聞きなれた砲声にも心地よさを感じている。

そんな気持ちになる素晴らしい環境だと思っている。

 

新しい生活を始めるにあたって、今まで起きたこと。経験したことをここに書いていこうと思います。

ただの経験談や感じたことなのでそれ以上でも以下でもありません。